「ツイッターに墜ちた主婦がブログを書くに至るまで」
まずは簡単に自己紹介をしてみよう。私は単なるごく一般的な主婦である。そう、スーパーでグラム100円の豚小間を買いあさる主婦。
サラリーマンの夫と小学生の子どもがいる。事務職を転々としていたが現在は退職し、いわゆる自由気ままな専業主婦である。
働きながらの子育て。時間は流れるように、いや、流されるように毎日が過ぎていった。
立ち止まることも後ろを振り返ることもできない。ただ「今」と戦う日々。
「子どもはかわいいのに、なんてつまらない毎日だろう」
私はそんなことを思うようになっていた。とりたてて生活に「不自由」があるわけではないが、家事と育児と仕事に追われ、常に「自由」がないと思っていた。
何か欲しいものはある?と聞かれたら、間髪入れず「一人の時間」と答えるようなそんな感じである。
私の暮らし、このままでいいのだろうか、という漠然すぎる葛藤がいつもどこか胸の片隅に転がっていたのである。そう、なんだかずっとモヤモヤしている感じ。
やりたいことなんてそうないくせに「時間がないからやれない!!」といつも心は叫びたがっていたんだ。
そして私は仕事をやめた。専業主婦となる道を選び、自由を手に入れたのだ。
やっと自由を手に入れた、そう思った。これからはなんだってできる。今までできなかったこと全部してやるんだ。部屋を徹底的に片づける。食事は一汁三菜を作って、子どものおやつには手作りのクッキーを……。
なんて思ったが甘かった。自由を手に入れた私は、どんどん自堕落な生活に没頭していくのである。毎日二度寝をかまし、最低限の家事をこなし、午後からはドラマの再放送を見るなどして過ごした。
このとき私の地域では『相棒』や『科捜研の女』の再放送をしていた。しかし、毎日人が殺されるようなドラマを見ていたせいか、次第に夢見が悪くなっていく。見たことを後悔し始める。毎日がパッと晴れない。
そう、自由を手に入れたつもりでも、私の中のモヤモヤしたものはどこへも行かなかったのである。私はいったい何を求めていたのだろうか。というか、私の想像していた自由ってなんだったのだろう。というか、私が求めていたものってなんだったんだろう。
そうして、私はドラマ再放送鑑賞生活を卒業した。今度こそ主婦業に身を入れるぞ、と勢い込んだものの、やはりだめだった。基本ダメ人間の私のモチベーションはあがらない。
そんな折、私はあるものにハマってしまう。そう、何を隠そうそれが「ツイッター」である。
アカウントはそもそもあったけれど、流行に乗ってアプリを取得し登録したものの、すでに飽きていて放置していた。それを再稼働させてみたのである。たいしたことは呟けないが、何かしら満たされるのではないかと……。
そしてツイッターという世界に身を置くことになるのである。うれしいことに、こんなしがない「豚小間買いあさり一般主婦」の実にくだらない呟きにも、ささやかな反応があった。本当にささやかではあるが、自分の言葉を誰かが見てくれている、というのがうれしかった。
ときには自分で自分を撮った写真なんかを載せてみたりしては、承認欲求を満たしていった。いわゆる「自撮り」というやつである。しばらくすると、あれれ、なんだかちょっと痛々しくなってきたぞ?という自分からの問いかけがやって来る。それに対し、首と腕をぶんぶん横に振り、「大丈夫、私まだマシな方」と自己を自己で慰めている。
「おまえ痛いよ ?」
「いや、まだマシだよ ?」
という自問自答を繰り返す日々。もはや「マシ」という言葉がすでに痛々しさを物語っている。(この辺はまだ葛藤中)
そんな中、なぜ突然ブログを書き始めたのか。自分自身でもよくわからないけれど、想いを言葉にしたい、言葉を文字にしたい、文字を文章にしたい、そんな思いで書いているんじゃないかなと思う。
そしてあわよくば自分の文章を誰かに読んでもらいたい、そんなところだと思う。
実のところを言えば、「時間ができたらブログを書いてみたい」ずっとそう思っていた。実際は、どんなに忙しくて時間がない人でも、書く人は書くだろう。結局は、きっかけと自分次第なのだ。たまたま「ブログを書いてみたら ?」と言ってくれる人がいたこと、「自分が書く気になったこと」つまりはそういうことである。
これからここで何を書くのか、方向性はちょっとまだわからないけれど、どこにでもいるごく一般的な主婦の、等身大の文章を楽しんでいただければ幸いである。
最後に、このような稚拙なブログをお読みいただいたことに感謝申し上げます。ではまた。