「自己肯定感てなに?育む方法なども考えてみた」
どうもこんにちは団地妻です。
少し暖かい日があったかと思えば気温一桁台の寒さに逆戻り。どうにかなりませんか。寒いのいい加減に飽きてきました。今年の春はどんな洋服が流行るのでしょう。新たな季節がやってくるというわくわく感はわりと好きです。
さて、今回のブログテーマですが「子どもと大人の自己肯定感について」です。
自己肯定感?なんじゃそりゃ、と思う方もいるでしょう。
私がこの言葉を初めて聞いたのは4~5年前になります。当時抱えていた家庭問題を市の相談員さんに相談した際に耳にし、それがどういたったものであるか知りました。
では、自己肯定感とはなんなのでしょう。
「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と思える心の状態。
自分を肯定している感覚、感情などを指す。
ということだそうです。
つまりは、自分で自分を認めてあげるということなのではないでしょうか。
自分を認めてあげるというのは、自分の苦手はところ、コンプレックを感じていることも含めて受け入れて認めてあげることでもあると思います。
これは子どものころは親の影響が強いのではないでしょうか。
難しいけれどなるべく子どもを否定しない。
何か問題が起こった時に「ダメでしょ」ではなく「○○だからしないほうがいいよ」などと言い方を変えて説教というより諭すとういう感じにもっていきたいのですが……
がしかし、これが難しい。
感情にまかせて頭ごなしに言いつけることは簡単です。
でもそれだと子どもの自尊心を傷つけてしまうことになるのでは?
危険なこと、人を傷つけることはしっかりとダメという。それ以外のことは一旦は認めてあげてもいいのではないでしょうか。
この自己肯定感について学ぼうと思ったときに乙武洋匡さんの「自分を愛するちから」を読みました。
本書ではこういったくだりがあります。ご両親に対して
「この身体を恨んだことなんて、本当に、ただの一度だってないのに」
と綴っています。
五体不満足という本を書いた方が、ここまで自分を幸せさだと言い切る。それにはやはりご両親の子育ての工夫が功を奏したのでしょう。
子どものうちは、やはり親が子供の自己肯定感を育む手助けをしないといけないということだと思います。
手助けと書いたけど、自己肯定感が産れるのはあくまでも自分自身の中からだと思うから、自己肯定感が育つような育て方をしたいと常々思っています。
(なかなか実践できませんが)
ではいったい、子どもの自己肯定感はどこから生まれるのか。
それは係る大人、つまり両親、教師や友人に認められること。
子どもの自己肯定感を育てるのに必須なのは一番身近な人に認めてもらえるということでしょう。
じゃあ認められるってどういうこと?というと、私が気を付けているのは、彼が良かれと思ってしたことを頭ごなしに否定しないということ。
例えば公園で「宝探ししてきた!」とガラスの破片や角材、誰が捨てたか分からない小瓶のようなものを拾ってきた
「げっ、そんなもの拾ってこないでよ!今すぐ捨ててきなさい!」とかなり言いたい
でもそこをぐっと我慢して、
危ないものは持たせないではなく、危ないものの持ち方を教えたい。
大切で持っていたいなら、自分や他人がけがをしないような持ち方をしなさいと。
まぁガラスの破片程度であれば、本人が触って指を切ることはあっても死にはしない。
実際指を切ってしまったらこんな危険なものもういらない!となるかもしれません。
大人になってからもね、自己肯定感て自ら養えると思うんです。
きっとね、やり方さえわかってしまえばどんどん自分が好きになる。
私はそう思う。私が実践しているのは日記を書くということです。
スマホやPCでもいいのだけど、私は手書きをお勧めします。
なぜかというと、そのときどきで感情は文字に反映される。ちくしょう、とかばかやろーと書く時と、あー楽しかったおいしかった、今日はメイクがうまくいったな等と書く時では文字の勢いや整い方が違います。
つまり自分のメンタルが見えるんです。そして自分のメンタルと冷静に向き合える。
実際、私の日記帳なんてメンタルの上がり下がりがひどいものです。躁鬱の人が書いているのかと思うほどなので、決して誰にも見せられない、もともと字がへたくそなうえに、ひどいときはマジで文字がとっ散らかっています。
それでも吐き出すことによって自分を冷静に見られて、「まったくしょうがないなぁ、この日も家事をさぼったのか。でもまあ過ぎたことだし明日から頑張ればいい」と。
ダメな自分も認めて愛してあげようということです。
書くということは思考の可視化ですから、自分を知るためにも初めてみたらいいのではないでしょうか。